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もう一度同じ景色を見たかった。#13 ありがとうって本当ですか。

#13 ありがとうって本当ですか。

1997年8月22日

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 ≪ハナビタイカイカナイモウワカレヨウワタシタチ≫
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 花火大会から4日たっても、これがポケベルの最後のメッセージだった。

 あまりにも突然過ぎて時が止まったようだったので、新しいメッセージが来ないのは、それはそれで良かったのかもしれない。

 一年前の花火大会からこの前の花火大会までの時間を思いながら、『なぜ?』だけが頭の中をぐるぐると回っていた。

 自室で仰向けに寝転んで天井を見ていると、フリオニールが僕の顔を舐めに来たけど、たいして嫌がってもくれないことがわかると、プイと横を向いて水を飲みに行った。

 午後3時38分

 腰のあたりで振動を感じた。

 ≪キツチンポツトニコレル?ユカ≫

 随分久しぶりな気がした。と同時にどうしても話がしたくて ≪スグニイク≫とベルを打って家を出た。

 キッチンポットは川西能勢口にある喫茶店。駅前の大通りではなくて、一筋池田側に入った昔からある路地沿いに有る。

 単車で15分なのだけれど、やはり随分長く感じた。

 鶯の森の駅前にある喫茶店には、川を見ながらコーヒーを飲む僕と由夏が居るような気がした。

 滝山の踏切は、いつもにも増して開かなくて、能勢電が行き過ぎたあとの川西能勢口方面には陽炎が見えていた。

 もう少しでここ数日の疑問が解消できるのかも知れないけど、大事なことはそんな事ではなかった。

 大きなTVモニターと、沢山のリキュール。夜はダイニング・バーになる、昼間の喫茶店

 カウンターの奥、入り口から対角線上反対側の窓際にある席に、長袖のTシャツに、もう一枚羽織った由夏が居た。

 いらっしゃいませ何名様ですかと言う店員さんに軽く会釈をして、その場でコーラを注文してから由夏の座る席に向かった。
 
 「ここ、少し寒くない?あ、この席クーラーの風が直撃。シンジくんはどう?席変えた方が良い?」

 毎日会って、毎晩電話しているような、そんな由夏の話し方だった。

 「冷夏って言うからにはもう少し涼しくあってほしいものよね。着る服が難しいのよほんとに。」


 「由夏!」


 少し強く目を見ながら、止めどなく続ける話を塞き止めた。

 「うーん、顔が怖いよシンジくん。そりゃね、申し訳ないと思ってるよ。急に約束破って。でも私も花火に行けなくて悲しかったんだからさ」

 「そうじゃない!…そうじゃ」

 彼女は話をやめて、少しうつむいて。また顔をあげて外を見ていた。

 丸いテーブルに届いていたコーラは誰にも気づかれずに汗をかいて、氷が溶けた事がわかりやすくグラデーションしていた。

 あのさ、と話しかけようとした時、ふと見た由夏の眼に溢れる涙に驚きが隠せなかった。

 「由夏…」

 由夏は一度瞬きをして、頬に伝わる雫をハンカチで拭き取ることもしなかった。

 「ゴメンね。シンジくん。ゴメンね。どうか何も聞かないで貰えないかな?」

 え?とは思ったけど、とてもそれ以上自分の疑問ばかりを押し付けることも出来ず、何かを聞けるわけもなかった。

 ただただ、短い恋の終わりとはこういうものかと自分を納得させるのが精一杯だった。

 「1つだけお願いがあるの。」

 「何?」

 「最後に手を繋いで歩いて欲しい。」

 「…別に良いけど。」

 「…フフ。相変わらず変な人」

 少しだけ笑った由夏を見て、安心と嬉しさ、そんなそよ風が吹いた気がした。
 

 店を出て、しかしどうしたものかと考えていると、彼女は僕の右腕にしがみつくように手を繋いだ。

 なんとなく歩き始めて、なんとなく河川敷に向かった。

 「ちょうどこの真上に、高速道路の出口ができるんだって。でね、猪名川を渡って、阪神高速道路の池田で合流するってお母さんが言ってた。」

 ベッドタウンとしての宅地開発が進んで、市の出入り口の渋滞がひどくなる一方の頃だった。親の世代が最初に住み始めた頃の道が古くなって、新しい大きな道を作って、さらに高速道路も引っ張る。そんな時期だった。

 「そしたらやっぱり花火、打ち上げられなくなるんだって。」

 「本当に?」

 「わかんない。かもよ、って話。」

 「とりあえず、来年はまだあるんだろ。」

 「うーん、どうかなあ。私は今年見れなかったからなあ。」

 「来年だよ?」

 「どうかなあ。シンジくんは見れるかなあ。そしたら、私はどうかなあ?」

 「…どういう意味?」

 彼女は何も言わずに、河川敷の花火大会の会場で辺りを見回していた。

 「この前ね、花火の日。シンジくん、ここに一人で居たの?」

 「居たよ。」

 「花火見てた?」

 「最初はね。」

 「最初は?じゃあ、途中は?最後は?」

 「いや、それはさ…」

 「あ!!もしかして!探してくれた?私の事。」

 何も言えなかった。とても頭の中が整理できるような状態ではなかったけど、何かを言ったり答えたりすることで由夏を困らせたくなかった。

 「うーん、そうかそうか。私を探してくれたのか。シンジくんは。」

 そう言って由夏は駅の方に戻ろうとしたから、僕も同じ方向に歩こうと一歩踏み出したとき、由夏は走って戻ってきて、そして僕の全身を締め付けるように抱きついた。

 「由夏…」

 簡単に理解できる状況じゃなかったし、どれだけ考えても理解できなかったと思う。

 

 「大好きよ。シンジくん。ゴメンね。」

 

  とても小さな声だった。



 由夏は僕の体をくるりと回して、大阪方面に広がる猪名川の景色を見せて、背中から話しかけた。

 「シンジくんはこのまま。このままでいて欲しい。」

 「へ?」

 「もー、冗談よ。と言うのは嘘。でも少しだけ。うーん、わかりにくいか。わかった!とりあえず、私が良いよって言うまでこのままで居てよ。」

 「え?いや、まっ…」

 「お願い!」

 少し勢いに押されて、そのまま体を動かすのをやめた。

 河川敷から見えるのは池田市、神田。カンダと書いてコウダと読む。子供の頃、親父に何度も同じ説明を受けた。自動車メーカーの工場があって、その横に高い煙突がある。どこにでもある、普通の町の景色なのだろう。いつかはこの小さな町を出て少しは大きなことがしてみたいとか、そんなことばかり考えていた10代の最後だった。

 由夏の気配が無くなっていくのを感じながら、工場に雨が振り始めて、煙突が海に沈んでしまった。

 スボンの右ポケットが定位置のポケットベルは無神経に振動して僕を呼び出した。
 

 ≪  アリガトウ   ユカ  ≫


 「……ほんとかよ…」

 理解は全くできなかったけど、これで終わりだってことだけは、よく解った一日だった。

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キッチンポットは2021年も健在 Kitchen Pot

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