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もう一度同じ景色を見たかった。#14. 逃げ道

#14. 逃げ道

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2020年1月12日

 
 あの時、海に沈んだ煙突は、今はもう高速道路にその一部を隠されていて、その高速道路は、大阪方面まで伸びていた。

 振り向けばJR福知山線川西池田駅から北伊丹駅に繋がる線路と、川西市伊丹市池田市の境が入り交じる軍港橋方面に続く、昔からある車道。

 何も変わらない。20年以上たっても、なにも変わらない景色だった。

 辺りもそろそろ暗くなりかけるころ、祖母の通夜の会場に向かうことにした。

 河川敷周りは電灯が少ないのも変わらない。

 今もあるキッチンポットを越えて、葬儀会館までは車で10分程だった。

 所謂家族葬というやつで、受付には、なんとなく記憶にある長年会っていなかった親戚が何人か居て、お互いに久しぶりだという話をひとしきりしてから会場に入った。

 祖母の遺影を挟んで、父と父の弟の健(タケル)おじさんが中央の通路を挟んで座っていた。

 「遅くなりました。」

 「おう!シンちゃん!久しぶりだな。相変わらず元気そうじゃないか。わざわざありがとうな。」

 健おじさんは、他人の肩をバチバチ叩くタイプのおじさんで、割と圧を感じるタイプのおじさん。言わずもがな声がデカめのおじさんで・・・昔からきらいじゃなかったけど、おじさんからはすごく好かれている事はよくわかった。

 「ご苦労さん」

 一言だけの会話をした父側の座席に座った。

 「なんか、20年位あってないはずなんだけど、全く新鮮な感じがしないよ。」

 先に到着していた姉にヒソヒソと話をしていると、さらに後からやってきた兄は、中央を通らず、先に父側の座席に来て、少し遠目から健おじさんに挨拶をした。


 「・・・こうすれば肩を叩かれないのか・・・・」


 短い焼香だったけど通夜式は滞りなく行われ、父が止め焼香をして閉式となった。

 久しぶりに親戚で食事をして、昔と今を何往復したか分からない程、どうしてその空白の期間ができてしまったのかも分からない程の、どこにでもある穏やかな親戚の集まりだった。

 帰宅しようと席を立ち、皆にお辞儀をして帰る時、入口まで見送ってくれた健おじさんは、もう一度私の肩をバチバチと叩いた。

 「ばあちゃんに、皆の笑顔を見せれて良かった。でも本当は、もう一度シンちゃんとか皆と、もう一度一緒に花火が見たいって言ってたんだ・・・。何か…理由はどうあれ、すまなかったな。」

 あの屋上から見た猪名川花火大会が、頭の中で一瞬だけ蘇った。夏の暑い夜の、小学生の頃に見たあの花火。

 「・・・もう一度、ばあちゃんのチラシ寿しを食べたかったけど、今でも味は思い出させるから。」

 翌日のお葬式にも参列することを伝えて、帰路についた。

 健おじさんが無言でお辞儀をして、そのまま私の車を見届けてくれた。



 阪神高速 川西小花。昔は無かったその入口を、その日は自分の中で、今も無い事にした。

 大阪に行くには、旧176号線を池田方面に抜けてただひたすら阪急電車宝塚線沿いを梅田方面に向かって走るか・・・・・

 その日はもう一つの道、川西能勢口駅を横断して、JR川西池田駅そばの線路を越える昔からある陸橋から加茂に抜けて、そこから新しい176号線に出て、阪神高速 池田入口から大阪の自宅に帰宅した。
 

 河川敷、川西能勢口駅、雲雀ヶ丘花屋敷駅、萩原台から多田新田を越えて清和台まで。

 頭の中に浮かぶ景色が、今日見た景色なのか、昔を思い出しているのかよく分からなくなった。

「花火か・・」

 一人の部屋につぶやいた言葉が、ゆっくりと耳に帰ってくるのが分かった。

 だれかが亡くなるのを聞くたびに思いだす後悔があって、その度にその後悔と一生付き合っていくことがわかると、恋愛とか結婚とか、考えられなくなった。

 少しでも離れれば、先に進めるんじゃないかと、就職でそれほど遠くない場所ではあったけど、地元を離れることにした。

 でもダメだった。何も変わらず、何年も何度も同じ後悔をしている自分に気づくたびに、逃げ道ってのは無いもんだなと、もう自分を責めることすらできなくなっていた。


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2007年9月18日

 「俺も由夏が亡くなったのを知ったのは、何年か後だった。でも誰に聞いてもそうだったよ。」

 4杯目のビールを飲み終えた直樹は、小さくこぶしを握って、悔しそうに言った。

 「ごめん・・。」

 「なにが?何がごめんなんだ!」

 どうしても怒りを抑えきれない直樹に言えることが、ごめんだけだったのが悲しかった。

 「知らなかった。今の今まで、由夏が・・・・」

 
 河川敷で急な別れを告げられてから、3ヵ月後の1997年11月、由夏は長く患っていた病で亡くなったと、直樹は教えてくれた。ただ、当時その死を知る人は少なくとも知人にはおらず、同じクラスの、由夏のそれほど多くない友達たちも知らなかったらしく。

 それから3年程時間が経過した2001年3月、多くの同級生が21世紀最初の社会人として世に出る頃に開かれた同窓会で、その事実は広がったらしい。

 地元どころか人との通信を切断して、海外で多くの事を学んだつもりの結果がこれだった。

 あの花火の日、誰も居ない由夏の家の前で、遠くに聞こえた救急車の音が、鮮明に蘇る瞬間だった。


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2020年1月13日

 晴天の中、祖母の葬式は執り行われ、親父と健おじさんの後ろに並んで出棺の手伝いをした。兄はやっぱり来なかったけど、誰も責めなかった。

 

 「お疲れ様、晋二郎。これ、少ないけど。」

 帰り間際、母は私に1000円札2枚を手渡した。

 「いや、いらねーし。」

 そう言いながら受け取る弟を、姉は遠目に見ていた。

 「晋二郎、あんた、今だから聞くけど・・・由夏ちゃんには挨拶できたのかい?」

 急な母の直球を避けることは至難の業で、顔面直撃を受け入れるしかなかった。

 「そう、そうかい。母さん、あんたが何を望んでいるのかわからなくなった時期がある。丁度海外だかへ行って、帰ってきた頃かな・・・。それは、今も変わらないように見えるわ。あんた、この町に何か忘れ物があるんじゃないの?」

 わかるようなわからないような、そんな母の言葉に重みを感じながら、葬式会場を後にした。


 昼間の川西能勢口駅、ジャージ姿の高校生達がJR川西池田駅から能勢電方面に歩いていた。

 「3年生も完全に引退して、新学年での活動にもそろそろ慣れる頃か。」

 毎日毎日ボールを追いかけて、ただ一つの目標に向かって走ることをやめなかった、そんな高校生だった自分を思いだした。そこには、何も疑わず、諦め方を知らず、出来るまでやめなかった高校生たちが居た。

 「もう一度だけ・・・」

 何かを取り返すためだったのか、母の言う通り忘れ物を取りに行くためだったのか。

車は、大阪方面・・とは真逆に向かって走っていた。

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時と時間は似ているけど違う気がする。

次回 #15 それでも時は経ちまして
papas-colour.hatenablog.com