#15. それでも時は経ちまして
お探し物でしょうか?
真面目に学校に行って、ラグビーは当然、勉強もそれなりに真面目にして、真面目に恋して、どうやら一生懸命生きる高校生だった・・と思う。
大切な人の言葉の大事な部分、言葉に出来ない行間を読めなかったことをずっと後悔している馬鹿な男子の生まれ育った町には、晴れた空がよく似合う。
兵庫県道13号線 この町の産業道路は川西能勢口で12号線に変わって北上。そして直ぐに二手に分かれる。
1つ目は昔からある猪名川沿いの道、猪名川渓谷ライン。通称「金太郎ロード」。
2つ目は萩原台、鴬台、錦松台を一気に越える、都市開発後期にできた太い幹線、川西篠山線。
通称「マウンテンワープ」。
どっちも近所のオジちゃんが勝手にそう呼んでただけの道。
ワープをアクセル踏みめに、真上に真っ直ぐ登ると一気に頂上に到着。多田平野を眺めながら今度は一気に下って、気づけば清和台に居るのに気付く。
緑台、水明台、グリーンハイツの山を遠くに見れる高台にあるオシャレなカフェ・レストラン。
由夏の誕生日に、生まれて初めて女子と二人でコース料理を食べた場所。
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「お店の前の橋から下を覗くと、しょっちゅう幽霊が見れるらしいよ。」
「それ、今する話?」
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若さ以上にバカさが勝る、そんな18歳男子。
それから20年以上の月日が経ち、車の目の前には、もう一人のバカな男子の実家。
【植村】
変わらぬ表札を見て、不思議と満足感があった。中学まではバスケ部だった直樹の家にはバスケットリングが今もある。
女子にメチャメチャ人気があったけど、直樹はあまり「そこには」興味がなくて。
結局大学でも社会人でもラグビーを続けたらしい。
ただ、仕事はあまり上手く行かず、職を幾つか変えた後、今は沖縄で陶芸の勉強をしていると後輩の年賀状に書いてあったと母から聞いた。
あっ。
とてつもなくくだらないことを思いついて、すぐに実行した。
カシャ!!
直樹の実家を写真撮影し、届くかどうかもわからないメールアドレスに写真を送った。
ピコン!
チャットアプリから友達申請の連絡。
「おい!植村家の前で何やってやがる!」
申請に許可。それだけして返信はしなかった。
「シンジ!川西に居るのか?そうか、いるのか!」
なんとなく、メッセージを打つ直樹の顔が浮かんだ。
「居るならお前、ちゃんと、ちゃんとしろよ!」
直樹のラインに既読はついたと思うけど、やっぱり返信はしなかった。
庭に面影確かに、直樹の親父さんがタバコを吸っていた。
車の中から密かにお辞儀をしたあと、清和台から金太郎ロードに降りて、猪名川沿いを南に下る道に。
多田大橋、という名の100mほどの小さな橋。
平家と源氏が睨み合ったと言われているとか言われてないとか、この町のテレビ撮影には必ず使われる、赤橋。
2つの橋を横目に、金太郎ロードは車を再び川西能勢口まで連れ戻す。
「忘れ物…か。ちゃんと、ちゃんと取りに行くって…どうするかな。」
母と直樹の言葉が繋がって、一つのメッセージに思えた。
JR川西池田駅側のコインパーキングに車を止めて、アステ川西から完全に高架になった川西能勢口駅の下を歩いて。
西友が見えた瞬間、昔の自分がいる気がしたけど、今はもう公衆電話も無くなっていた。
西友手前の細い路地を、雲雀丘花屋敷駅に向かって登る。アスファルトでは無く、コンクリートに丸い溝が幾つも施されるタイプの道も変わっていない。
そこを登って、登って。暫く行ったところに由夏の家がある。
ここまで、20年以上かかってしまった。
謝りたい。
何を?
きっと苦しかったこと、それに気づけなかったこと。
別に苦しいことなんてないよ。
本当は言いたかったこと、聞いてあげられなかったこと。
??言いたいことは全部言ったよ。
どうして?
どうして私が苦しくて、聞いて欲しいことがあるなんて勝手に決めつけるの?
由夏はそう言って不思議がるだろうか?
ようやく急こう配の坂を登り終えたのだが、
私の頭の中では確かにそこに有った由夏の家は、アパートと駐車場に変わっていた。
アパートの4軒の家の表札はどれも由夏の家では無くて。
もしかしたら、由夏は私の夢の中に居たのだろうか。
そんな疑問が心に湧いた瞬間、どうしても涙を堪える事ができなかった。
あの日、河川敷で振り向くと由夏が居なかったあの時を最後に、由夏には二度と会えないと自覚するのが怖くて悲しかった。
空に浮かぶは雲か想いか
車に戻った私は、今日の最後に一つの決意をした。
パーキングを出た車は、西友の裏を通って、金太郎ロードでもワープでもない山の中。
川西市と宝塚市が入り交じる、知る人しか知らない道を進んでいた。
何度も何度も急なカーブがあって、山を登ってまた降りて。少しづつ少しづつ登っていく山道。
登り切った所で見えたのは、あの日見た谷底に向かうジェットコースターの線路。
萩原ジャンプ台は、あの茶色い屋根の家と空き地の間。
空は晴天。
何も変わらない景色を前に、私は、車を谷底に向けて傾けた。アクセルを踏まずとも加速する車を勇気づけて、久しぶりにお腹が浮き上がるのを感じた。
飛べ!!
そう思ったとき、空に向かうはずの車は重力を思い出して、速度を急激に落としていた。舗装されたアスファルトは、坂道の凹凸を滑らかにしていた。
まるで、私が生きていた場所とは似て非なる世界へワープしたような、そんな悲壮な世界観が私を包んでいるようだった。
変わったようで変わらない。変わらないようで変わっている。それは町のことなのか、それとも私の記憶のことなのか。。
絶望を超えた敗北感を背負いながら、気づけば昔は無かったはずの、一つの家。
その表札を見ていた。
【松村】
何もかもが見覚えのない景色だけど、庭で花に水をやる女性には、間違いなく見覚えがあった。

次回 #16 形跡
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