#16. 形跡
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ここにしよう。」
「こんな所に埋めるの?」
「うん。この公園はずーっと昔からあって、誰も来ないから大丈夫だ。」
「ほんとに?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年 1月13日
萩原ジャンプ台を過ぎた所の白い家。
いつまでジャンプ台だったのか。それは定かではないけれど、
ここでジャンプ出来ていた頃の記憶には無かったその家の玄関先で花に水をやる女性は、間違いなく由夏のお母さんだった。
私のことを覚えているかもわからないし、当時を思い出せるほどに面影が残っているのかどうかもわからないけれど、私は車を停めて、ゆっくりと歩き始めた。
あと20歩ほどで到着しそうな時、庭の中から外を眺めた由夏のお母さんと目が合った。
シャワーから出る水は、庭木の一箇所にかかり続けていた。
お母さんの顔が、一瞬曇った後、クシャクシャになって、
そして微笑んだ。
私は深く礼をした。お詫びなのか感謝なのか、何とも自分でも理解のできない感情だった。
車を家の側に付けるように言われ、家の中に案内された。
思い出泥棒。
整った部屋の中には、明るい日差しが差し込んでいた。
奥の和室に仏壇があり、お母さんはそこに座布団を一枚敷いてくれた。
私はそこに座り、記憶と一寸も変わらない18歳の由夏と対面した。
線香の煙の向こうで笑顔の由夏と目が合って、
私の心の中に、言葉が上手く出て来なかった。
「産まれた時から、心臓に病気を抱えていてね。あまり長くは生きられない事は、本人も知っていたわ。」
激しい運動も難しく、楽しいことすら彼女には毒になることもあったらしい。
全く知らなかったことばかりで、残念で悔しくて寂しくて、当時由夏が、そのようなことを私に言うはずもない事もよくわかって、目の前の由夏の遺影に何を話しかけて良いのかも良く分からず。
「コーヒー、ブラックで良かった?」
しばらく由夏と会話にならない会話をしていると、リビングから由夏のお母さんに声をかけられて、マリーゴールドの飾られたテーブル、その横のソファーに腰掛けるように促された。
「よく来てくれましたね。」
「すみません、本当は、その、もっと早く来なければ行けなかったのかも知れませんし、ただ、知らなかったというか、僕たち最後・・・・」
「ありがとう。由夏の人生を素敵なものにしてくれて。」
「・・・あの、素敵なものって言うのは・・・その・・」
「短い人生、それがどういう意味なのかを理解した時、丁度あの子が中学一年生の頃から、とても卑屈になってしまって。親とは口を利かなくなって、それまで友達だった子たちとも急に連絡すらとらなくなってね。でも、高校生になったころ、実はあなたに丁度お会いしたころなのかしら?毎日を楽しそうに生きるようになった。よく笑うようになった。大学受験の勉強まで始めるようになったのよ・・・。」
お母さんは、時々涙を拭きながら、由夏の心がどんな風に生きたのか、教えてくれた。
「あの子、あなたにとても良くない嘘をついたと言っていたけど、それでも最後の最後まで、あなたの話をしていたわ。」
由夏のあの日あの時の言葉、表情を思いだして、自分のダメさ加減も改めて感じて。
「主治医の先生にあの子の容態があまり良くないことの説明を受けた時、あの子がこの場所へ引っ越したいって言いだしたのよ。あのジャンプ台を見ていれば、そこから高く飛び出すあなたにこっそり会えると思っていたみたい。」
とんでもない勘違いをしていた。それに気づくのに20年以上かかった。昨日にすら戻れない私にとって、その20年はすごく長い時間で。
「すみません、お母さん。僕は、僕はあの頃本当に由夏に嫌われてしまったのかと・・・その、でもそれは違うみたいで、上手く言えませんが・・・」
「・・・確か・・・約束があるって。」
「???・・・・!・・」
「大切な約束があるってあの子言っていたけど・・・。」
由夏と私の約束。守ることができず、宙ぶらりんの約束。
「・・・・・はい。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1997年 3月31日
「ここにしよう。」
「こんな所に埋めるの?」
「うん。この公園はずーっと昔からあって、誰も来ないから大丈夫だ。」
「ほんとに?」
JR川西池田駅を降りてすぐ、建設中のマンションの前にある公園には、ブランコとシーソー、小さな砂場があった。
藤棚の裏の雑木林に、僕たちは二人の未来を埋めることにした。
終始笑顔の由夏の横で、必死に穴を掘っていた。
「晋二君。」
「何?」
「もうこれ、読んで良い?」
「はあ?!?!ダメダメ!!何言ってるの?意味ないでしょ!」
「フフフ。わかってるって。」
「少しは由夏も手伝ってよ。穴が浅いと雨が降ったりしたらすぐに出てきちゃうんだから。」
「いやよ。せっかく書いた手紙を読んでも貰えずにこんなに深く埋められちゃうなんて。息苦しいじゃない。聞いてない聞いてない、聞いてないぞシンジ!」
「いや、ならどうするのさ?誰かに持っててもらうのも嫌だし、これは僕と由夏だけの秘密にしたいんだよ。」
「・・・別に良いけど。」
僕たちは、お互いの将来に、将来のお互いに向かって手紙を書いて、高校生最後の日に埋めることにした。祖母がまだ子供のころからそこにある公園に、自分たちの未来を託した。
「よし、これで良し。」
「ねえ、これ、いつ掘り返して読めるの?」
「うん、10年後。10年後の花火大会の日、ってのはどう?」
「フフ、なるほど。でも、例えば、例えばだよ?それまでに二人が・・・」
「なにが有っても。どんな状況でも。っていうのはどうかな?」
「・・・・晋二君、そんな約束して良いの?」
「どうして?ダメなの?」
「本当に・・単純と言うか何と言うか・・。わかりました。何があってもここに来ましょう。10年後、2007年?」
「いや、2006年。」
「なるほど、2006年の猪名川花火大会の日。ちょうど、10年・・ってこと?」
「そう、ちょうど10年ってこと。」
「わっかりましたーー」
由夏がクルリと回って、手紙を埋めた場所に手を合わせた。
「いや、お墓じゃないんだから・・。」
「お祈りよ。届け、私たちの未来に。」
由夏の言葉に重みを感じて、僕も手を合わせた。
「・・・誰か死んじゃったの?」
「はあ?!?!」
楽しい時間は永遠に続き、この約束を果たすことなど容易いことだと考えていたけど、大甘だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2006年 8月18日(土)
急なフラレ方をして、それからは海外に生き場を探していたけれど、10年前の約束を忘れていない自分に気付いて、災害復興の支援活動ボランティアをしていたブラジルから帰国した。
伊丹空港に降り立った時には辺りは暗くなっていて、阪急電車、蛍池駅から川西能勢口駅に向かう途中、池田駅辺りからは猪名川花火大会の柳花火が明るく見えていた。
このまま川西能勢口駅からJR川西池田駅に着くと、由夏がいるのかもしれないと思うのは余りにも都合が良すぎるとは思いつつ。
不思議に少しの緊張して萎縮して、それでも10年前に自分が書いた手紙がどういったものだったのか、由夏が何を書いていたのか、大きな不安と少しの楽しみが自分の中に共存しているのがわかった。
JR川西池田駅に着くと、コンビニが有った所は電気屋に変わっていた。恐る恐る見渡すと、右手に見覚えの無い公園と、左手に見えるはずの約束の公園は、その手前にここ数年で立てられたであろう4階建ての大きな高級そうなマンションで見えなくなっていた。
いてもたってもいられず、マンションの横、公園への一本道を走ると、完全に見覚えのある藤棚があった。
ただ、その裏にあるはずの雑木林はコンクリートで埋められていて、その上には舗装された道路と、きっとお金持ちなんだろうと思わざるを得ない、大きな一軒家が建っていた。
とてつもなく横柄で世間知らずの自分を自覚する瞬間だった。
掘り起せるわけもないコンクリートを拳で叩いて、自分の過ごした時間を悔いた。
遠くで花火の音が聞こえて、汗なのか何なのか分からないものを腕でぬぐった。
公園から少し登った所にある駐車場からは昔と同じ景色が広がっていて、小さな猪名川花火大会が見えた。
下には公園と藤棚が見えて、花火大会が終わっても、何が終わっても「待ち人来ず」というのはさすがにわかった。
10年前に由夏とした約束は守れなかったのか守らなかったのか、逃げたのか逃げられたのか、由夏は来なかったのか来たけど同じ景色を見てすぐに帰ってしまったのか、考えても考えても、答えなど見つからず、約束は宙を彷徨うことになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年 1月13日
もう一度和室に入った由夏のお母さんは、仏壇のお供えの側から一つの箱を手に取った。
少し大きめで銀色の、せんべいでも入っていそうな缶。
蓋はひしゃげて、全体的にボコボコにへこんでいた。
「捨ててはいけないと何度も叱られたわ。とても大切なものが入っていて、これを未来に届けなくちゃいけないって。そのために思い出泥棒になったと言ってたわ。あなたなら、これが何か分かるのかしら?いえ、ごめんなさい。中にはあなたの名前も書いてあって、そこだけは見てしまいました。ずっとこれを渡したくて、ずっとここで待っていました。」
あの時、藤棚の裏の雑木林に埋めた缶。
所々に乾いた土がついていて、あの時、由夏とした約束、その形跡がそこにあった。
缶はジャガイモのように凹凸だらけで、蓋を開けるのに少し力が必要だったけど、中にはあの時、お互いの10年後に向けて書いた手紙が2通と・・。
「あの、すみません。あの時、手紙を入れたのは確かなのですが・・。」
「ええ、あの子が泥だらけになってこれを持って帰って来た日、入れ忘れたものがあるって。」
見覚えのある、カセットテープとWalkmanが、あの時未来に送った手紙と一緒に入っていた。
「お母さん、すみません。僕は本当に馬鹿で、ダメで、すみません。何一つ由夏にしてあげられませんでした。」
お母さんは、由夏が幸せな人生を過ごしたこと、最後まで喜多晋二郎という男の子のことを好きでいたこと、それを疑わないで良い事を教えてくれた。
思い出の缶を預かって、由夏の家を出る時、お母さんは「もう、あなたはあなたの時間を生きて欲しい。」と私の肩を叩いてくれた。
車は旧萩原ジャンプ台を超えて、曲がりくねった山道を通り、20年の時を越えて、約束の公園に向かった。
由夏へ
僕のなんだか面倒臭い提案につきあってくれてありがとう。
この手紙を読む由夏の横に、喜多晋二郎と言うどうしようもないバカな男がいるはずですが、今、改めて申し上げますと、彼はあなたが大好きで、生涯愛することを誓っています。。

次回、#17.信じるバカ
papas-colour.hatenablog.com